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https://w.atwiki.jp/kakeru/pages/10.html
タイトルからインスパイヤ! 今年流行した身内での流行語を投票してもらいます。 期間としては12/10~12/11まであたりと考えています。 †ルール† 1、用語を増やしたい場合は#voteの括弧の中にカンマ「,」で区切って追加してください。 2、投稿ペースはお任せします。自作自演可能。 3、一度追加した用語は消さないように。 4、他随時追加。 選択肢 投票 すいませんっ!ついっ!! (27) ブーン⊂二二二( ^ω^)二⊃ (60) W役満 (7) ついでに天をとれ (4) ツンデレ (23) 寺尾 (4) 田中 (2) ひらむぎ (3) 泣きたくなるような配牌…っ (33) に……にいさん… (4) スクリーンショット『SS』 (4) タミ5 (5) ルイージクオリティ (3) 11話 (18) ルイージ (4) ドラ12 (2)
https://w.atwiki.jp/keroro00innovator/pages/2026.html
あなたの愛した世界 あなたの愛した世界 アーティスト 南條愛乃 発売日 2014年11月5日 レーベル ジェネオン・ユニバーサル デイリー最高順位 2位(2014年11月8日) 週間最高順位 6位(2014年11月11日) 月間最高順位 15位(2014年11月) 年間最高順位 153位(2014年) 初動売上 7407 累計売上 10810 収録内容 曲名 タイアップ 視聴 1 あなたの愛した世界 グリザイアの果実 ED 2 Dear×Dear ランキング 週 月日 順位 変動 週/月間枚数 累計枚数 1 11/11 6 新 7407 7407 2 11/18 17 ↓ 1407 8814 3 11/25 ↓ 814 9628 4 12/2 630 10258 2014年11月 15 新 10258 10258 5 12/9 349 10607 6 15/1/6 203 10810 グリザイア ED 前作 次作楽園 あなたの愛した世界 黄昏のスタアライト 関連CD 楽園の翼 君が笑む夕暮れ Shangri-La Shower 永遠フレンズ
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1322.html
中学の時、社会で渡された資料に“日本人はバナナだ”という話が載っていた。一皮剥けば白人と同じだという事らしい。また、高校の社会では、教師がひらがなの事を“ミミズがのたくった様な文字なんて云々”と馬鹿にしていた。 - 日本国民 2010-05-23 12 17 06 小学校5,6年生のときの教室の本棚に「はだしのゲン」が置いてあった。担任から強制ではないが読むよう言われ、ほぼ全員読んだ。その後、はだしのゲンのアニメ放送版を見せられた。その担任は卒業式の国歌斉唱の際に起立せず、わざわざ「先生は起立しないよ」という旨の説明があった。修学旅行は広島で、被爆者の体験を聞いたり原爆ドームに行った。それ自体は勉強にはなったが、修学旅行前の事前学習がひどく日本は侵略国家でありそのため原爆を投下されたというような構図が私の頭の中で出来上がり同時に「国のため」という考えは非常に恐ろしいことだと思った。反日とは直接関係ないが、給食のメニューになぜか韓国料理のナムルがいつにころからか登場した。献立表にはナムルが韓国の料理であることの説明書きがあった。年に一回、在日韓国人や部落出身者の結婚や就職の際の困難さや差別についてのビデオを体育館で見せられた。 京都市 - 三十代前半女子 2010-05-23 12 51 28 高校のときに、総合学習(笑)の時間に、自衛隊について調べて好意的に発表したら、放課後に世界史の教員呼び出され、延々自虐史観を垂れ流してた。その時にぽろっと、うちの学校にも在日教員がいることをもらしてぞっとした。公立高校になんでそんなのがいるんだよとな。 - 23歳 2010-05-23 23 43 08 所謂ベビーブーマーの世代S48年生まれです。広島県在住だったので、毎年夏休みに「平和集会」なるものがありました。そこで反戦平和教育と言う名の洗脳をされ続けました。中学から東京の私学に通いましたが、そこでは一切そんな話はナシ。 - saru 2010-06-09 22 08 30 反日教育というより在日教師に逆差別を受けた。その教師は同胞(苗字でも顔つきでも明らかにそれとわかる)の生徒だけを猫かわいがり、反対に育ちのいい日本人生徒には率先して酷い態度、酷い言葉を投げつけて苛めていた。親が塾の講師をしている生徒にも苛めをしていたので恐らく日教組だろう。 - きく 2010-05-25 03 49 47 中学の歴史の教師が全教?に入っていた。 極左とか言われていたけど授業は比較的中立的だったと思っている。でもソ連の樺太侵攻の話は無かったな・・・ - 東京出身 2010-05-25 20 49 14 反日までいかないが反戦教育は凄まじかった。全校生徒に「あゝ対馬丸」「はだしのゲン」は上映してたし、合唱では「消えた八月」「ひめゆりの塔」などの反戦歌?ばかり歌わされた。さらに先生は「これは(戦争被災地に住んでいる)あなた方にしか表現できないのよ!」と負の遺産継承まで押し付けられたことがあります。卒業式では君が代を歌ってなかったし、今思い返すと日教組メンバーの可能性高いです。 - 大和令武 2010-05-27 09 57 03 大分県の小学校。一年の時、音楽の授業で「君が代」の歌詞を見つけどんな歌かワクワクしてたら先生が「この歌は歌わなくていいです。」と言われガックリしたのを覚えている。五年生の時、担任の教師がアリラン?だったかなソレの歌と劇をやらされた。日本の事をなんでそんなに悪く言えるんだろうかと不思議に思っていた。中学校は一変。というのも社会の授業の先生がある時、南京「大」虐殺の写真集を引っ張り出し「この写真捏造なのよ。日本軍が南京に来たのは寒い冬、この中にある写真にはちらほら半そでの軍服着てる人がいるんだよねー。」と生き生きと説明していた。その先生からは「出された情報は疑ってかかれ」見たいな事を言われた。その先生と数年前の同窓会で再会したが先生は教師を辞めていた。なんというか今思えばやめさせられたんだろうなぁと思う。乱文申し訳ない。 - 名無し 2010-05-27 17 55 35 関西のとある県の出身の先生で、前々から人権とか香ばしい内容の話をしていたのですが今日とうとう反日的な話をやらかしました。最初、韓国と台湾は36年間植民地だったとか言った後 - 鹿児島県-中学生 2010-05-28 23 16 19 投稿ミスしてしまいましたorz 文章力無いのでうまく纏まっていないかもしれません。そして韓国の人は日本に無理矢理連れてこられたと言った後、日本の拉致被害者は50人程だけれど、韓国から連れてこられた人は50~70万人余り(?)と言う話を持ち出しました。後詳しい説明は割愛しますが、従軍慰安婦の話もしました。そして北朝鮮は今もミサイル打ったりしているけれど、こうなった元々の原因はアメリカ・ソ連に朝鮮をやった日本だと言いました。更に無理矢理連れてこられたのに、今は韓国人と言う理由で選挙権をあげないのは可笑しいと、明らかに外国人参政権容認ととれる発言をしました。もう泣きたいです…(日本の将来的な意味で)。本当はこの後ももうアホかと(ryなネタがあったのですがここら辺で終わりにしておきます。 - 鹿児島県-中学生 2010-05-29 00 04 45 当方広島出身だったので、非核三原則やら九条やらを徹底的に教え込まれていました。 - 名無しさん 2010-05-31 17 10 04 ↑続き 武力を持たなければ、戦争をしないと明言しておけば絶対に平和なのだと道徳の時間に熱弁されました。そこに俺は「だったら僕らの間でのいじめとかもなくなるはずですよね。みんな堂々と僕はいじめはしてないって言うのに実際はいろんなとこでいじめってありますよね。」と言うとなぜか職員室の中の給湯室に連れ込まれ、平和について事細かにぐちぐち言われました。まじめな奴があまりにいなかったのが幸いしたのか?先生の思想に毒された人はほとんどいませんでした。 - 名無しさん 2010-05-31 17 18 31 拝読させてもらっているとまだまだ全国で反日共が蔓延していることが分かる。自分は中学から東大阪の私学に行き周りにも朝鮮人が多かった。やはり金持ちが多かったな(特権ゆえか)。で、教育はというと中立というか聞いてなかったから覚えていない。小学校の広島への修学旅行でのお決まりの反戦うんぬんぐらいか。自分は我関せずで周りと喋り捲っていたから覚えていない、というか聞かなくてよかったとさえ思う。学校の歴史の授業など無駄。このサイトや有志が作成した日本の本当の歴史動画を寝る前に5分見たほうが立派に育つ。 - 名無しさん 2010-05-31 21 53 12 間違って来たのですが、一応足跡を。君たち、気持ち悪い。病院いけ、昔の左翼みたいだ。 - 名無しさん 2010-06-01 21 00 23 日教組や左翼的知識人が日本国が危険な目に遭ってもいいと考える、危ない人たちなのは周知の事実でしょ? 左翼は自国&文化を憎み、そのためには中韓に国を売り渡してもいいと考えている節があります、その為に非常に疑わしい特定アジアの主張を鵜呑みにして、学校などで生徒たちに偏ったことを教えています - 名無しさん 2010-06-02 18 48 35 左翼は保守と右翼を同一視するので注意(あるいは意図的に) 基本的に左翼は日本国民よりは、他国である反日的な国家のほうを重視します、 それらの国が領土&資源侵犯をしていてもダンマリを決め込むか、なぜか日本が悪いかのような方向へ話を誘導していきます。 これでは日本や国民が不利益な目に遭いかねませんよね? ところで、ここの体験談を気持ち悪いという根拠はなんでしょう? - 名無しさん 2010-06-02 18 57 53 間違ってこなくていいよ - 名無しさん 2010-06-02 22 45 57 今になって思う。私がまだ高校生だったと思う。そのころのトレンディドラマって - 名無しさん 2010-06-02 12 15 37 親に中韓の危険性を説いても全く聞く耳持たなくて泣けて来る。日本が悪い事したからの一転張り・・・戦後左翼教育恐るべし - 名無しさん 2010-06-02 19 46 28 今思えば、中・高の社会科の先生はまともな方にあたったので、反日的教育を受けることがなかった。また、家族(父)が保守なので、洗脳されることなく大人になったと思います。しかし、周囲の友人は洗脳されている者が多く、特に両親が小学校教諭の友人。「ニュースはNHKか報道ステーション、新聞は朝日に決まってる!日本は極悪な国」いくら言っても無駄だー、と分かりあうのを諦めた記憶が。大学で『日本国憲法』を履修しましたが、(教員養成課程の必修科目)被爆地長崎なのでやはり多い9条絶対固辞、の教授にあたりました。「憲法9条は必要だと思うか。理由を併せて書け」レポートに、「改憲すべき。いつ何どき戦争に巻き込まれるか分からないのに軍備を整えないなど考えられない」と書いたら「戦争は災害ではない。話し合えば分かりあえる」とよくある窘めを受けた。しかし常に教授に反抗的な態度を取っていた割に評価はしっかりして頂けたので、話せばわかる人だったのかも? - hal 2010-06-02 21 48 34 1973年生まれです。第二次ベビーブーム世代の人間です。小学3年生の頃、突然全校集会が開かれ講師として大阪在住の30代ぐらいの男の人がやってきた。内容は部落差別をなくそう。部落がなんなのか?何も分からず、ただただ差別は良くないという事をいっていた。内容はほとんど覚えていないが唯一「ホルモンってうまいでしょ?」「何で捨てるんですか?」当時、焼肉屋で普通にホルモン食べていたので、いったい何の事だか分からなかったが今にして思えばあれは在日だったんだと思った。また自分が社会人になった頃、地元の高校の進路指導に左の人がいたらしく自衛隊の就職担当者が来たら追い返したり、卒業式に君が代のレコード(今だレコード?)隠して「無くなった」とウソをついて仕方なく音楽なしで歌ったなど。いるところにはいますね。 - 柴田信幸 2010-06-03 01 53 45 中学校の社会科や国語の先生ですが、「日本刀の試し切りをする」として、中国人の首を切ったという話に衝撃を受けました。それも赤ん坊まで日本刀で切ったという話です。 - NaotoDate 2010-06-05 10 18 15 中学時代は多感な時期でもあり、日本という国に誇りをもてなくなり、日本人が嫌いになりました。高校時代は日本が大嫌いでした。また、天皇陛下なんていなくてもいいのになんて思っていました(天皇陛下についての教育は忘れましたが)。大学に入学するころには、かなりの捏造があったことを知りました。公立中高は日教組がいて子供の教育上良くないと思い、子供は全て私学に入れています。埼玉県です。 - 名無しさん 2010-06-05 10 21 04 多分、日本軍人による百人切りのニュース(もちろんマスコミお得意の誇張ねつ造の類)を、民間人を対象に全軍レベルで虐殺行為が行われたと、さらにねつ造・誇張したものでしょう。当時の日本軍は100年に及ぶ内戦で荒廃していた中国に秩序をもたらした存在でもあり、多くの中国人が協力したのです。治安維持活動や民間人の警護などの記録も残っています(現在は強制連行などの証拠写真にされているようですが)。日本人の習慣ではありえないような内容のものが多いのは、中国の歴史や習慣をもとに作成されたものだからです。そもそも、「三光作戦」自体が中国語です(「光」は中国語で「無くす」「~しつくす」の意味が有り、日本語には無い)。 - serina 2010-06-11 10 16 49 娘の中学校の社会科教師の事なのですが、- 名無しさん 2010-06-06 18 20 09 ↑ すみません、間違えました。娘の中学校の社会科教師なのですが、「基本的人権」の授業の中での自由権についての学習で、生徒にケーススタディとしてプリントを配りました。その内容が、(恐らく日教組としての)自分達側の立場からしか見てない主張が、事例として挙げられていました。すべて載せると非常に長くなってしまうので、気になった要点だけ上げさせてもらいますが、《昭和天皇の闘病中に長崎県市議会定例会議での長崎市長が行った議会発言(戦争責任を問うというもの)に対し、自民党などの保守層から「昭和天皇の闘病中に、市長という公の立場の発言として問題」と声が上がったが、長崎市長は譲らなかったので自民党長崎県連から処分を受けた。その翌日、地元の右翼団体の一員が拳銃で長崎市長を狙撃。重症を負った。逮捕された右翼団体の一員は『天皇に対する例の発言は許さない』と言った。》とかいてあり、子供達に自民党・保守層=右翼団体は、言論の自由を認めないという、憲法違反を犯しているという考えを持つように、子供達を誘導しています。現に娘はそのプリントに“どんな発言も自由なはずなのに、「天皇に対する発言は許せない」とは憲法に違反している”と書き込んでいました。他のプリントにも、右翼団体=自民党・保守層と思いこませるような記述が多く見られます。それから、差別の問題では 事例として《Tさんは、学生時代に政府を批判する活動をしていた。Tさんは公務員試験に合格しなかった。情報開示請求をしたら、Tさんは筆記試験で上位の成績で、面接でも特に大きなミスをおかした訳ではない》とか、《1987年に国鉄が民営化されJRになったが、国鉄で労働組合員として組合活動をしていた人は殆どJRの採用されなかった》とかの記述あがり、まるで自分達のような組合活動を行ってる人達は差別の被害にあっているかのような内容に、何かの意図を感じます。自分達の思想を一方的に子供達に教え込むなんて、絶対許せないです。でも、どうしたら良いのかわかりません。。この社会科教師に教わってる全ての子供達が可哀相です。つたない文章で解りにくかったと思いますが、ここまで読んでいただいて、有難うございました。 - 名無しさん 2010-06-06 20 05 19 中学二年生になってまもないころ図書室にもともと置いてあるはだしのゲン・中沢啓治作品以外に、昔日本は韓国で~・日本軍は支那・南アジアで悪逆非道を~といった漫画が大量に入ってきたのを記憶しています。そのころは92年、ソ連が崩壊してまもないころです。その漫画はまだ地元中学の図書室に残っているかもしれません。 - ディセプティコン 2010-06-08 08 46 11 仏教の講座で、「仏の元ではみんな平等」という話のあとで、「日本は朝鮮半島を侵略し~」「強制連行が…」もう仏教関係ないじゃないか!70すぎのじいさん、いい加減にしてよ… - 仏教系大学です 2010-06-08 19 04 56 ここを読んでると自分の通った学校はずっとましだったのだなと安堵しました。せいぜい「図書室にはだしのゲン」「小泉首相の靖国参拝で特別授業」程度でした。 - 名無しさん 2010-06-08 21 24 41 中学の時の歴史授業での話です - serina 2010-06-11 09 18 04 操作を間違えました。このとき教科書と併用して補助的に資料集を使用していたのですが、内容は大虐殺侵略といった反日史観丸出しの超左翼的な内容でした。年5回の学内考査で、ある時試験問題のほとんどがこの資料集から出題され、教科書のみの知識では極めて答え難い内容でした。二条瓦の落書の全文など教科書の知識ではとても理解出来ない。社会化を担当する教師は二人いたのですが資料集を重視する教師ともう一方の教師が担当するクラスで恐ろしいほどの得点差が出来ました。私のクラスを受け持っていた先生は資料集をほとんど使用しない方の教師だったので、この時はこの先生を恨んだものですが(学内交差の結果は内申書に反映されるため)、今にして思えば、この先生にあたってよかったと思っています。おそらくこの先生は反日史観や左翼的な思想に反対の立場だったのでしょう。人格形成の最も大事な時期に、トンデモ思想を押し付けられずに済んだのですから、(内申書の点で不利益をこうむりましたが)私はむしろ幸運だったのです。 - serina 2010-06-11 09 43 59 悪名高き北教祖教育を受けた者です。【南京大虐殺】【強制連行】【従軍慰安婦】を何度テスト用紙に書いたことか…。中学校時の国語の教師は、赤新聞でもある北海道新聞の卓上四季を毎日切り抜き、ノートに貼り付け提出採点。疑問を持ち意にそぐわない解釈すると、吊るし上げを食らう。君が代を学校で歌った記憶がないです。 - 道産子 2010-06-12 22 50 29 田母神俊雄は危険人物 、右翼だ - 名無しさん 2010-06-13 15 05 25 彼の意見は、独立国なら当たり前の常識的な主張の範囲内だと思います。むしろ、非武装中立などが普通に学校で教えられている状況の方が問題でしょう。左翼政権の中国でも、そんな反軍的な主張をしたらスパイ容疑で捕まりますよ。 - serina 2010-06-13 16 41 10 ここは反日教育について語る場なんですが・・・何か間違えてませんか。 - 名無しさん 2010-06-14 23 31 16 田母神氏が「右翼」というのなら、世界にある200以上の国々はすべて「右翼」になりますが? - 1 2010-06-16 00 20 34 私が学生の時は今から30年ぐらい前ですが、今ほどひどくなかったと思います。まだ先生も戦争中のことをしている人が多かったからだとおもいます。 - 名無しさん 2010-06-15 14 41 09 中学生ですが、いろんなことを教えられています。国民主権、天皇主権、南京大虐殺、在日の人権、天皇制、天皇家、無条件降伏、などいわれましたがその人は社会の知識が恥ずかしいくらいなく、いつも黒板に書くことをメモしてあるノートを観ながら書いています。ほんとイライラします - 名無しさん 2010-06-15 23 14 36 馬鹿はかしいでしょうが上手く受け流して頑張ってくださいね。 私たちはもう一度奪われた社会を取り戻さなければならないのですから・・ - 名無しさん 2010-06-17 22 49 43 中学~高校時代、社会科の教師から「日本は世界で1番嫌われている国だ」と授業でストレートに教えられました。中学と高校で全く同じことを教えられたので当時は「本当にそうなんだ」と思ってしまいましたが、今思えばアレは一体何だったのか・・・ - たく 2010-06-17 23 43 38 二十数年前、小学1,2年の時の女性担任に「戦時中に日本軍は東南アジアで住民を虐殺をした」「赤ん坊を放り投げて銃剣で突き殺した」と教えられました。 - 名無しさん 2010-06-18 11 15 18 高知県出身です。一度も「君が代」を教えられませんでした。 - 名無しさん 2010-06-19 02 35 42 中学時代、すぐキレて怒鳴り散らす自称・熱血社会科教師。「天皇は犯罪を犯しても捕まらない」「福沢諭吉は差別主義者」「朝鮮の英雄李瞬臣(←わざわざテストに出題)」今思えばとんでもない反日主義者。@兵庫県公立校 - 20代前半 2010-06-19 18 47 29 長文駄文失礼致します。Searchinaの愛読者のとある左翼教師A(仮)について書きます。 ●国語系の個人授業にて: おそらく自分はその教師Aから気に入られていたのだと思う。Aは理解者を得られると思い気を許したのか、明らかに過激な思想を吐露し始めた。 そして授業中突然、「××学校の式典では日の丸が威圧的に掲揚してあり君が代を歌わなければならなかったけど、もちろん私は歌わなかった。」と誇らしげに言った。日の丸についても激しく批判し、気色が悪いと吐き捨てた。Aを左翼だとは知らず親しくしていた自分は、その発言にとても驚き聞き流す事ができず理由を尋ねた。Aの君が代に対する主張は以下。〝君が代は天皇崇拝とファシズムを呼び起こす危険な軍事賛美の歌。そんな国歌を強制する人間と法律は絶対に許せない。本当はもっと平和的な歌詞に変えるべきだが、‘君が代’ではなく‘民が代’ならばまだ許せる。天皇制は廃止するべき。〟自分はAを刺激しないよう無知を装いつつ、おぼろげながらも平安時代の和歌の勉強をした時に得た知識を総動員し反論した。本居宣長の名を挙げた途端Aは嫌悪剥き出しの表情になり、「本居は右翼だから~」とぶつぶつ言っていた。Aのイラつきと口調の乱れに気付き、自分はAの主張に一定の同意を示し、なんとか話を終わらせた。 次の日担任を通じAから手紙というか短い文書のような物が届けられた。内容は君が代の成り立ちについてで、要約すると“君が代の歌詞は直接的には大山巌という超怖い独裁的軍人の愛唱歌が本歌である、軍人が天皇の為に勝手に定めた歌だ”と書かれていた。参考文献は一切記されていなかった。Aは自分の偏狭な解釈を押し付け、どうしても共感を得なければ気がすまないようであった。 次の授業は西川長夫の著作を用いた【国民国家批判】がテーマだった。自分は浅学菲才ながらもアンダーソンの『想像の共同体』など俗に‘ナショナリズム研究の三大古典’と呼ばれる本の概要を既読だったので、国家や文化は虚構にすぎないという考え方は受け入れられたし著作自体は興味深かった。だがAの‘ナショナリズム’連呼から授業は空想的社会主義思想へと偏り始める。しかもAに自覚は無いようだが、‘良いナショナリズム’と‘悪いナショナリズム’があるというダブルスタンダードを発揮。というか日本におけるナショナリズムには神経過敏だが、何故か特定の国のナショナリズムだけ知覚できていなかった。Aはしだいにエスカレートし、本来の授業をほったらかし左翼思想の素晴らしさばかり語られた。〝争いを好む低能な右翼を消し去りたい、勝ち負け・優越という概念は不必要でありテストとスポーツは憎悪の対象、神道など中国の道教のトレースなのだから価値は皆無、社会福祉が充実しさえしていれば国家はできるだけ小さくするべき、よって国なんて繁栄しなく良いのだから国益を求めることはすなわち危険な国粋主義―――〟。他は割愛するがAの主張は日教組の鏡だった。「自民党なんて右翼。」と十回は聞かされ反応に困った。基本的に民主党賛美だったが、「民主党はごちゃまぜの政党で元自民の奴もいるし、右翼も混ざっているから微妙。全員が左翼になって欲しい。」とも言っていた。Aの主張はどうもユートピア思想にみえたが、同時にSFと空想小説や芸術至上主義を激しく批判し軽蔑していた。Aの主張は一貫性が無かったのでよくわからないが、トルストイの 人生のための芸術 の信奉者だからかもしれない。Aはほとんど人の話を聞いてくれなかったし食い下がるとあからさまに機嫌が悪くなったが、僅かに交わした会話すら全く噛み合わなかった。(ex. A 日本はもう駄目だ→ならばこれから良くしていけばいいのでは→A でも一度近代化したものは元には戻せないじゃない・・・/A 私は勝ちとか負けとか短絡的な二元論は嫌いなのだ→そうやって右左で語るのも二元論ではないのか?→A 左翼と右翼というのは個人の傾向で分けているのだから二元論ではない/(中韓を代表する)異なる倫理観の持ち主が相手では、いくら高潔な倫理観も適応されないのではないか?→A 確かに社会に出ると嫌でも右翼のような狂った倫理観のおかしな人達とも出会うが、その時はできるだけ近付かないようにすれば良い/(皮肉のつもりで)自分は自分の考えは所詮主観でしかないと、肝に銘じておきたいと思います→A そんなことはない。若いうちから自分の意見を持つ事は大切。)ショックだった。違う世界の人と話しているように感じた。 ●必修の社会科の授業にて: 「天皇は金正日と同じ」と説明した。一時間に一回は「日本は遅れている。~という訳で国際社会から批判を受けている」と心底呆れた口調で言う。膨大な範囲を学習した筈なのに、テストでは革命権や憲法九条などについてのみが出題された。【世界革命論】が根本にあるようで、学生運動について熱をこめて肯定的に語っていた。福沢諭吉はレイシストらしい。 <高度情報化社会の問題>の章で、「~このように情報とは詐称される危険性がある。世論も同じく。だから例えば今の民主党の支持率(当時は鳩山内閣でとても低かった)も操作されている可能性があるのだ。」と説明した。一瞬教室がAを訝しむ空気になったので、Aは慌てて「自民党でも同じ事が言えるけど」と付け加えていた。また「在日外国人の犯罪が過剰に取り上げられているが、あれも印象操作。一部の罪を犯した人を報道することによって在日の方々のイメージを悪くし、差別を助長している。」と言っていた。 一時間丸々使って【靖国神社問題】と【新しい教科書を作る会批判】をされた。靖国神社についての資料が配られ、Aが嬉々として解説を始めた。「靖国神社が無理やり太平洋戦争の被害者を祀って遺族と裁判になった。」「靖国神社はA級戦犯を隠れて祀っていた。それが20年経ってからばれて問題になった。ダサいでしょ?」「こんな靖国神社を首相が参拝するので問題となる。中国・韓国・アメリカ、その他東南アジアの多くの国々から批判を浴びた。」「国営の慰霊施設を作る意見もあるのに、右翼が反対している。公表されている以外にも、靖国神社に個人で秘かに参拝している人もたくさんいる。自民党なんかにはいっぱい。」「小泉純一郎が靖国神社を参拝し問題になった時、私はちょうど中国に旅行中だった。現地の新聞で初めてそのことを知ったが、中国はもの凄く怒っていた。激しく憤慨していたよ。」戦犯を祭っている神社は他にもある、という話へ脱線。「乃木希典を祭っている神社もあり、私は行った事がある。天皇家についての冊子などが売っていた。気持ち悪いでしょ?でも売っているってことはああいうのを買う人がいるんだろうね。私が行った時、‘日帝軍のしょぼい黄色の軍服’を着た男性が数名来ていた。年齢的に戦争を知らない世代のはずだが、どこから入手したのか新品の軍服を着て拝んでいた。怖いよね・・・。」 つくる会批判は完全にAの趣味だった。「みんなは知っておかないと危険なことを知らないでしょ?太平洋戦争のことを、大東亜戦争という禁止された名前で呼び、日本の侵略戦争を正当化しようとする危ない勢力がいる。自虐史観などと嘯くのもこいつら。天皇は神の子孫だと洗脳させたい右翼。」お約束の南京大虐殺の話へ。「その教科書では南京大虐殺を‘南京事件’と表記している。彼らは、南京大虐殺は捏造だと主張しているが、でも私は殺された人達がたくさん埋められている写真を見たし、捏造なんて発想が被害者を馬鹿にしている。それにたとえ死傷者が100人だとしても、それは虐殺に違いは無い。」Aの発言を何でも素直に真に受けてしまうクラスメイト達が、そんな勢力がいるなんて怖い!と怯えていて不憫だった。 さりげなく近代化と明治維新を否定していた。「近代化によって日本人は純粋で素朴な心を失ってしまった。これは人間の根源的問題だ。韓流が流行っているのは、日本人が近代化される以前の日本の心を韓国に求めているからであろう。」 授業を延長してまで【在日朝鮮人の権利】についての私見を述べまくった。これが一番酷かった。「在日朝鮮人の方々は差別をされるから日本名を名乗っているのに~」と通名擁護。「日本が植民地化していた国々は日本が敗戦したためアメリカに占領された。例に漏れず韓国も日本のせいでアメリカに占領され分断された。」「韓国政府の発表では70万人もの人が強制連行されている。勝手に強制連行して、これまで散々酷いことをしておいて、逆に差別するなんて変。普通ならば罪の意識を感じる。」「私は新大久保の屋台へよく食事に行く。とっても美味しいのに、誤解されている。」「しかし最近では日韓でワールドカップを共催したり韓流が流行ったりと、文化間の交流が深まり、韓国への関心が高まっていて良いことだよね。日本人と韓国人は遺伝子が97%一致している。遺伝子レベルから似通っているんだよ。中国よりも。こんなほとんど同じ民族なのに争うなんておかしい。それなのに古い頭の保守的な人々は差別をする。」 聞いてもいないのにAは自分の体験談を話し出した。「私は最初の海外旅行を韓国に選んだ。韓国に残されている貴重な遺跡や仏像を見る為であったが、以前からずっと引け目を感じていて訪れたかった。日本語を話すと危険だと言われる地区まで行ったが、世間で言われるような反日などなかった。若い世代の人は、戦争をしたのは昔の世代だからあまり気にしていないと言って許してくれた。やった側は忘れても被害者はやられた事を覚えていると言っていたけどね。当たり前だよね。だからこれからは、日本はもっとアジアに目を向けなければならない。」続きをもっと話したそうだったが、すでに5分以上延長していたのでここで授業は終わった。 外国人の参政権についても触れた。前提とか賛否両論の存在をすっ飛ばして話していた。「外国人の方々への参政権は日本の課題であるが、最近は地方から徐々に参政権が認められてきている。地方の選挙は普通の選挙よりも生活に直接反映するから、外国人の方の権利が得られ易い。素晴らしいことだ。」 教育についての章で、自民党は愛国心とか伝統を大切にすることを強制する教育方針を長らくとっていた、と説明した。それから民主党の話へ。「民主党は元々色んな党からの寄せ集めだから、意見に多様性があり纏めるのが難しい。だから社民党が離党したけど、そんなの影響は無い。鳩山さんは気弱だったから駄目だったけど、今度の管さんは市民や弱者の権利の為に活動してきた人だから期待できる。」普通の授業はあんなに政治の話をするものなのか・・・? ●歴史関連の授業にて 戦争についての映画を見させられている。Aは日本兵が他者に暴力を振るうシーンでは大袈裟に目を手で覆い顔を背け、毎回最後にはボロボロと泣いている。 ●余談 Aとの長時間に及ぶ個人授業によって一体何が‘普通’なのかわからなくなった。そこで近代化に対するAの主張を、他の複数の教師に(Aの名前は伏せて)言い、果たしてどのような思想なのか尋ねてみた。結果、Aの思想はまさしく小国寡民の桃源郷思想であり現代の社会にはそぐわない所がある、自分が悪だとみなした物は徹底的に破壊しなければ満足しない性格、北朝鮮を楽園と言って移住した知識人達と同じ精神構造、などの考察を受けた。 以上です。多すぎる改行と冗長な乱文で大幅に占領してしまってすみません・・・。ここまで読んでいただいてありがとう御座いました。何かに取り憑かれている教師の自己陶酔の為の教育は書ききれない程あるのが現状です。 - 高校生 2010-06-19 23 20 06 ↑ - 名無しさん 2010-06-19 23 20 54 ごめんなさい。改行に失敗しものすごく読みにくくなってしまいましたorz - 高校生 2010-06-19 23 22 20 君が代を教えてもらわなかった。 - 名無しさん 2010-06-20 13 31 17 小学校のとき「はだしのゲン」を見させられました。音楽のときには教科書は使わず、韓国語の歌を習いました。もちろん君が代はなかったです。今思えばあれが日教組だったのではと思い出しました。 - 名無しさん 2010-06-21 15 33 29 昨日学校で日中戦争の「創氏改名」は強制だったと教えられた - 名無しさん 2010-06-23 12 22 08 中学校3年の時(S47生)の出来事です。体育祭予行練習のとき私は放送部で国旗校旗掲揚と文章を読み上げました。当時音楽教師にいきなりビンタをされました。先生の言い分は、日の丸校旗掲揚といえとのことでした。今でも忘れられない記憶です。 - tag 2010-06-23 17 45 40 小学5年から6年の2年間、やる気のかけらも無い日教組の中年女性の教員が担任でした。癇に障るとヒステリックに騒ぐ癖があり、今でも鮮明に思い出しますが、ある日の社会の授業中に米は銃で撃つから残酷でなくて、日本人は刀で切るから残虐だと訳の判らない持論を手振り身振りでのレクチャーに嫌気がさしていた事もあり、相手を殺さなければならない時に残酷も何もないのじゃないの?原爆は?という素直な疑問を問うたのを切欠にヒステリー発動の末に、後1年ちょっと完全無視をされ続けられ、その他にも何かに託けて名指しで粗探しの為の魔女裁判の様な仕打ちを何度か受けました。テストで高得点でも何故か通信簿は酷い有様で、小学生の時に聖職という言葉への幻想は完全に消え失せました。日教組だからでは無いのかもしれませんが、振り返ると16年に及ぶ就学期間に於いて最低の教師が日教組でした。 - mylef 2010-06-23 19 25 52 同じ会社の50代の派遣社員の人に、戦時中、在日韓国人は徴兵されて戦線の最前線に立たされて、この話は親族から聞いたものだから本当だ、と聞かされたのですがこれは真実ですか?ねつ造ですか? - 名無しさん 2010-06-24 08 22 50 朝鮮人兵士は志願制なのでウソですね それに補償問題は法的に日韓両国間で解決済みです - 名無しさん 2010-06-24 10 30 19 軍属(高い手当と引き換えに戦地で働く労働者)として、自分の意思で前線に行って戦闘に巻き込まれた人が、日本に徴兵されて無理やり前線に立たされたと、うその証言をした例もあります。ですから、「親族から話を聞いた」は本当かもしれません。ただし、内容は明らかに嘘でしょう。 - 名無しさん 2010-06-24 20 23 06 中学生の人権教育とやらで、日本は朝鮮半島に侵略し、無理やり人をつれてきた・・・・だから謝罪しなければならない。などと永遠と聞かされた。あげくのはてに、集団で民団に連れて行かれ、嘘の歴史と、起源主張を永遠と聞かされた。 - 名無しさん 2010-06-24 23 07 12 日中戦争の事をシナ事変と言ったら、シナというのは差別語だから使うなと怒鳴られた。 - 名無しさん 2010-06-25 12 47 55 当時は中国というのは存在しなかった。- 名無しさん 2010-06-25 12 53 40 小中高の歴史と小学校の道徳の教科書が、見事に反日教育仕様。中学の時、授業で習う前に「強制連行」「南京大虐殺」のコラム(体験談)を読んで罪悪感と日本に対する激しい嫌悪感を抱いた。しかし教師は、そのコラムを完全にスルー。当時は、何故こんな重要な事を教えない?と憤ったが、今となっては思想を縛ろうとしない良い教師だったと思えます。 - 名無しさん 2010-06-25 18 05 50 - 名無しさん 2010-06-26 18 17 25 小中高の教科書、今読んでも吐き気がする程自虐史観まみれでした。御馴染みの「従軍慰安婦強制連行」「南京大虐殺」「GHQにより民主化」とか。授業は普通でしたが、酷かったのは長崎や沖縄の修学旅行ですか。「沖縄集団自決強要」「原爆は日本が悪いから」とか観光旅行としてはともかく最悪の気分でしたね。沖縄の旅行用小冊子に同級生が書いていた「日本兵の残虐さ、戦争の悲惨さに背筋が震えた」などが特に最悪でした。私は大阪の学校ですが弟・妹の自虐教育はもっと酷いと思います。(2人や両親とも中韓に染まりきっています)あと、ベネッセとか学研の教材も日本(大日本帝国)を徹底的に悪者に描いていてショックでした。 - 愛国志士 2010-06-27 03 34 42 追加です。いわゆる平和学習が一番嫌な思い出でした。学校の図書館が私の原体験ですが子供向けの学習用歴史マンガでも大日本帝国あたりの描写(明治~現代)は酷かったと思います。昔のは知りませんが最近のがまさにそうでした。 - 愛国志士 2010-06-30 03 54 25 ベネッセ、学研ですか・・・。社内の地位や管理職、役員、あるいは出資者(株主とかオーナー、親会社)がそういう人で、方針を決定してるのでしょうか。心配なのは、数年前にスタジオヅブリ(仮名)の役員に○○系の方が就任という記事を見たこと。あとは、有名どころでは東京○○ラソドの経営会社の・・・も・・・とかどこかで見ました。要ヲチではないでしょうか。 - 名無しさん 2010-06-27 08 37 31 音楽の授業で「君が代」を歌ったことがありません。いつも教科書の最後のページに載っていたのになぜ授業で歌わないのか不思議でした。 - 名無しさん 2010-06-27 17 08 52 中学の社会科教師が戦時中?くらいの時の授業で「船から降りる人に『おはようございます』と言わせ、朝鮮の人は『おはちょーごじゃいます』とか上手くいえないからそこでしょっ引いていた」と被害者のように教えていました。お約束の強制連行された…もセットで。今なら、問題を起こす密航者を取り締まるための方法だっただけじゃん?と思えるのですが。狭山事件も中学か高校でやりましたねー。朝登校したら机に政治活動のチラシが入ってたことも。 - 広島県東部 2010-06-27 18 23 33 連投ですが、去年、近くの小学生が天皇のことを「この人悪い人なんだよ」と言ってました。先生に教えられたそうです。子ども相手にどんな授業してるんや?空恐ろしい。 - 広島県東部 2010-06-27 20 15 50 学校教育とはあまり関係ないのですが、自分に買ってもらった歴史漫画がいかにも旧日本軍が残虐・非道きわまりない事をしたか、あたかも事実のように記されてありました。いま思えばどれも事実でない事が分かりました。ちなみに未だにその本は家にあります・・・・・・・・・ - 名無しさん 2010-06-28 14 37 32 中学の時の社会の先生がかなりの反日教師で、毎回毎回南京大虐殺や従軍慰安婦のことなどを取り上げ、ビデオを見せられたり資料を読ませられたり、感想をそのつど提出させられたりといかに日本人が酷かったかを必死に、教えようとしていたと思います。しかし真実を知った今、私達日本人がすべきことはテレビを極力見ず、インターネットで真実を勉強し、国民全員に日本が危機にひんしていることを周知させるべきです。 - 名無しさん 2010-06-29 23 22 05 中学生の頃、社会の授業で「アリラン」を聞いた記憶がある。高校生の頃歴史の授業で関東大震災で朝鮮人が6000人殺されたって話を聞いたことがある。当時はそのまま信じてたけど、今にして思うと偏ってたんだね~ - 名無しさん 2010-06-30 01 57 31 高校時代在日の方のお話を聞きました.20歳になるときには必ず指紋採取をすると聞きびっくりしました.今でもこれは差別なのか何なのかよく分かりません - 名無しさん 2010-06-30 02 31 13 犯罪率の高い密入国の外国人ですからね、当然と思います。 在日の祖国の韓国では外国人は10本指全部の登録するそうですね - 名無しさん 2010-06-30 15 19 29 高校の問題集には指紋採取について「差別的待遇」と書かれていました、韓国は差別大国だったんですね。 - 名無しさん 2010-06-30 17 26 23 韓国の方の黒人差別はすごいそうです。また在日韓国人が母国へ帰ると差別されるそうです。 - 名無しさん 2010-06-30 17 21 15 日本へ帰化した元在日学者によると、在日朝鮮人は祖国(韓国・北)に帰国する気もなく、かといって日本に帰化・順応するわけでもなく虚偽に満ちた反日活動を続けているそうです - 名無しさん 2010-07-01 14 54 51 サッカーの応援でパラグアイの日系一世のおじいちゃんが、「日本を応援するよ」と言い、三世の子は「パラグアイを応援する」って言ってました。ふつうはそうなるんですよね。 - 名無しさん 2010-07-02 07 05 20 何が「ふつう」なのか理解しがたいんですが。3世だからパラグアイを応援する? - 名無しさん 2010-07-02 16 24 30 一世の方は郷土愛で日本を、三世の方は愛国という意味を込めて自分が育ったパラグアイを応援するという意味ではないでしょうか? つまり日系三世の方にっとって遠い親戚より自分が所属する国を大事に思うこと。 これが普通という意味ではないでしょうか? - edge 2010-07-03 18 04 39 なるほど、自分は変な勘違いをしてました、お二方にはご迷惑をおかけしました、済みませんでした。 - 名無しさん 2010-07-04 07 09 16 厳選韓国情報の書き込みで民団によれば在日は本国で芸能デビューとかしてるらしいから帰れば差別されるとか半分嘘でしょう。真偽は不明ですがそんなことを言ってる人がいました。まあ本国での教育では在日=棄民として教育されてるみたいですが昨今の日本ブームで在日はもてはやされるようなことも聞きますし。まあ強制連行などと同様の寄生するためのひとつの言い訳であると私は思います。そして寄生されることで日本にとってレイプにはじまる数々の犯罪、政治、司法、教育何から何まで荒らされ被害を被ります - 名無しさん 2010-07-01 21 49 33
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■I-B25F 全ての真実に気付いた場所 ※ネタバレありの項目です。閲覧・書き込みをする際にはご注意下さい。 世界樹の迷宮I・五階層B25F。 真実に気付いたというか、説明してくれたというか… しかもその下にまだ秘密が隠されているわけで。超展開の宝庫である B21~B24が建造物内なのに対してこちらは外。君はバスを発見することができるか 真実 → アーマービーストの攻撃力はさほどなんてモンじゃなかった B26Fへの階段はオールドゲーマーであるほど、見つけやすいのではなかろうか。玉座?の裏、という点以外にもマップのパッと見も某ラスボスの城1Fに似ている気がする。 似ているというか、オマージュの域? 全ての真実→世界○の○はおしゃべりが好き バスに感動。乗りたいな。…いやまて、何故残っている。 バスでハイラガードへ行く為さ ヴィズル「サンライズのアニメを観てるとよく『原作 矢立 肇』というの目にすると思うが、そんな奴は実在しない。」ししょー「う、うそだ」 ヴィズル「巨人の星の作画といなかっぺ大将の作者は同じ人だ。」ししょー「ば、ばかな」 ヴィズル「実はまだゴキ○リだけは滅びずにこの階層をカサカサしてる」 ししょー「き、きゃああ!」 ヴィズル:「アボガドではない。アボ「カ」ドだ。」ししょー「ん?!」 ヴィズルさん「バスは私が整備しておいた。いつでも動かせるぞ?」 ししょ~「運転手、お願いね。」 ヴィズルさん「え?」 ここの階層名は個人的に一番好きだ。何となく物悲しい辺りとか 死を呼ぶ骨龍が4匹くるくる同じところを回っているエリアがある。ちなみに俺は一匹倒そうとしてる閒に気づかれて倍速で近寄られて挙句にそいつが希少種で毎ターン高くなる丸かじりの威力についにhageた 新世界樹では相当キツい階。前半はバビルサに恐れ、後半はFOEどうぶつえんに悩まされ… そしてFJには頼れない。まあ回復地点が25Fの途中にあるけど 最後の方のカマキリゾーンの解法が結局わからずゴリ押した 象「ディーフェンス! ディーフェンス!」熊「ディーフェンス! ディーフェンス!」カマキリ「お兄ちゃんどいて! そいつ殺せない!」 ???「盾? 居ないよ、倒したから」 新でもやっぱりバスはあった 「B25F」とは言うけど、どう考えてもB24Fとの間に数十フロア分の隔たりがあるよね 何故? B24Fから見える外の景色は高層ビルの上階のそれだけどB25Fから見えるのは地上の景色だからだろ 木の実がかなり便利。サイモンも大喜びで木の実をかじる B24と25の間がどれだけ開いてようとそこに行けない以上便宜的に階層を連続させておくしかなかったとマッパーは考えたのだと考えるのだ 24と25の間の階は全て塞がれていたと考えれば何ら問題ない。 あり得そうでなかった描写だがこの階層のボスのイベント中にラッチがチョロチョロと王の足まわりに動き回っていると創造をしていた。 んで、結局カマキリ1、象2のエリアはどうすりゃいいんだ?何度やってもカマキリを左の伐採地点に誘うのが限界なんだが このフロアで窓から外を見てると出られそうな気がしないか? そして、全ての真実に気付く・・・。 ↑↑あれってカマキリだけ叩き潰して強行突破じゃないのか? 基本的にFOEは避けられるものとして配置されてるはずだからここも例外ではないと思うが、象さんでカマキリ妨害して進むのが正解なんだろうか…叩き潰したり逃走とかして強行突破の方が楽だな 象2カマキリは象を盾に左に誘導した後、もう一度象を盾にして次の扉まで駆け抜けるのが正解ルート。が、ぶっちゃけカマキリ倒したほうが早い カマキリの避け方が分からず そのまま倒しまくりますた バスというよりトラックに見えるのは俺だけなのだろうか リメイク元もFOEは叩き潰すのが正義だったからね、しょうがないね マッピングは金鈴でゴリ押したなぁ… この階で出てくるトンボ×2、クモ×2の組み合わせに勝てた試しがない 世界樹の王 新だとラスボス前の最後の部屋にショトカ用の抜け道がある…のは良いのだけど、その一つ手前の部屋にも抜け道がある。そんな近くに要らないからもっと手前の中盤地点に欲しかったのだが…ままならないものである。 旧1のこの階では破滅の花びら2アーマービースト3やアーマービースト5という実にさほどでもない編成が待ち受けている。もはやFOEよりこいつらの奇襲の方が脅威。 コメント ■関連項目(階層) ◇第一階層 B1F 希望に満ちた冒険者が踏み固めた大地 B2F 自然と人間の狭間、緑の光あふれる場所 B3F 幾多の戦士が倒れた絶望の地 B4F 地の底よりあふれる闇の牙 B5F 鋭い咆哮に立ち向かう勇気ある一歩 ◇第二階層 B6F いにしえの妖精たちが踊った森 B7F 痛みを耐える冒険者の道 B8F 飛竜の叫びが響く巣穴 B9F 魔物たちがさ迷う獣の小道 B10F 密林に鎮守する獣の王 ◇第三階層 B11F 青く輝く神秘の森 B12F 女王とその奴隷たちの暮らす宮殿 B13F 剣士が血塗られた手を洗い流した水面 B14F 神の涙に沈んだ樹海 B15F 天空の海を泳ぐ主 ◇第四階層 B16F 流れる砂の上で進む道を求めた場所 B17F 神秘の扉の奥にあった異種との遭遇 B18F 大自然が生み出した地平線の間 B19F 旅人が途方にくれた迷いの森 B20F 信仰を集める黄金の翼 ◇第五階層 B21F 乱立するかつての遺産 B22F 人々が集い歩いた鋼の部屋 B23F 夢が叶い滅びた市街 B24F 心に涙する者と出会った道 B25F 全ての真実に気付いた場所 ◇第六階層 B26F 神の加護すら届かぬ地の底に挑んだ勇者 B27F 生きとし生ける者みなが陥った謀略の間 B28F 流れ出る自身の血に気付き驚いた広場 B29F 己が記憶を疑い絶望に叫んだ者達 B30F 百億の生と千億の死を見つめるもの ■階層ボス 世界樹の王(モンスター)
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あなたなら・・・ どれに投票しますか? まずははじめに 選択肢 投票 タイムシェアを知っている-はい (69) タイムシェアを知っている-いいえ (0) 選択肢 投票 タイムシェアの購入について-買いたい (44) タイムシェアの購入について-買わない (10) 買うとしたら 選択肢 投票 私はすでにオーナーです (41) 私はオーナーではない (25) 選択肢 投票 ホームリゾートはハワイ (49) ホームリゾートはハワイ以外 (11) 選択肢 投票 購入基準はオーナーシップのプログラムの内容 (23) 購入基準は管理費 (5) 購入基準はロケーション (13) 購入基準はお部屋や施設の充実度 (17) 購入基準はセールスの対応 (1) 購入基準は友人や親兄弟が持ってるから又は勧められて (1) 選択肢 投票 1week (42) 2week (5) 3week (0) 4week (2) それ以上 (1) 選択肢 投票 正規購入 (37) リセール (7) ほしい物件が見つかればどちらでも良い (6) 選択肢 投票 Fairfild Rezorts (2) Hilton Grand Vacation Club (21) Marriott Vacation Club (10) Westin Vacation Ownership (10) その他 (3) 最後に世代は? 選択肢 投票 ユース (5) ミドル (39) シニア (7) リタイア (0) MaHaLo Next
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雨空の昴星 第7話『三年前の真実』 突然、実験室のような場所に飛ばされた私。そこで見たものは、診療台の上に横たわる金髪の少女....転校生を名乗り、青空小の生徒を狙っていた『PleiaDeath』の刺客、荊姫 カレンだった。 「何でカレンが此処に........!」 不意に背後からドアが開く音が聞こえ、振り向くとそこに立っていたのは白衣姿のお父さんだった。 「お父さん!」 「よし、最終調整に入るぞ。」 お父さんは私に気付くことなく、机に置いてあるパソコンのキーボードを打ち始める。 「お父さん!お父さんってば!」 何度呼びかけても返事はない。此方の姿や声は相手に認知出来ないのだろうか。 「........よし、これであとはこのプログラムデータを本体にインストールするだけだ。何とか初の誕生日に間に合いそうだぞ。」 「え........?」 机の上に置いてある写真立てを手に取り、お父さんは微笑みを浮かべた。写真には、お父さんとお母さん、そして小さい頃の私が写っている。私の手には、昔お父さんに貰った覚えがある金髪の女の子を模したロボットが握られていた。 「前は小さなロボットだったが、今度は本当に初と友達になってくれるような高性能のアンドロイドだからな。性格も優しく明るい子になるよう完璧にプログラミングした....きっと喜んでくれる筈だ。」 「...........!」 そんな。カレンが、アンドロイドだったなんて。三年前の私が貰う筈だった、誕生日プレゼントだったなんて。 「さぁ、最後の仕上げだ。初の笑顔の為に...........!」 再び背後からドアが開く音が聞こえる。お父さんが顔を上げると同時に、私も釣られて振り向いた。 「.........音羽 悠弦博士だな?」 カツッ、と杖で床を鳴らしながら入ってきたのは、両腕が機械と化し、身体中から管を生やした老年の男だった。 「だ、誰だ貴方は!」 「ほう......本物の人間そっくりじゃないか。噂通り、いや.....それ以上の腕だな。」 男は舐め回すような目線でじっくりとカレンを見つめる。その様子だけでも嫌悪感が湧くのに、目の焦点が左右共に合っておらず常にギョロギョロ動くせいで余計に気色が悪い。 「誰だと聞いている!!」 「おっと、失敬。ワシはDr.アトラ.....お前も一度は聞いたことのある名前じゃないか?」 「「!!」」 そうか.........こいつが........!!こいつが『PleiaDeath』の親玉か!!!!!! 「Dr.アトラ.......まさか、学会で強烈なバッシングを受けた末に追放されたというマッドサイエンティストか!?」 「人聞きの悪い覚え方はやめていただきたいね.....ワシの研究は人智を超えている、それを理解出来ないバカが多いだけだ。だがお前なら、少しは理解出来ると思ってね......どうだ、ワシの研究に協力する気はないか?」 「断る。大体、理解しろという方が無理な話だろう....貴方の研究は人道に反している!そんな人間と関わりたくはない、帰ってくれ。」 「やれやれ......真面目な男だ。案ずるな、こっちに来ればすぐに分かる。ワシの研究が如何に偉大か......」 「帰れ!!私は忙しいんだ!!娘の誕生日まで、もう時間がない.....!」 「ほう......それは良い事を聞いた。フンッ!」 アトラはバッと手を翳すと、指先からコードを伸ばし棚に置いてある薬品の瓶を爆発させた。たちまち他の薬品も誘爆し、研究室の中は炎に包まれた。 「な、何をする!!」 「そっちがその気なら、此方も実力を行使するだけだ。」 「くっ.....!」 お父さんは炎の中を潜り抜け、研究室を飛び出していった。残されたアトラは、カレンを抱き起こして背中に負ぶい始めた。 「此奴も利用させて貰う......ワシの開発品としてな..........」 そう言い残し、アトラも研究室を後にする。私もお父さんの後を追って部屋を出た。 「お父さん......!」 「皆逃げろ!!こっちだ!!」 お父さんは、逃げ惑う研究員達を火の手が来る前に逃そうとしていた。 「チーフも早く逃げて下さい!」 「私のことは気にするな!早く、向こうに.....!」 全員が避難出来たことを確認し、お父さんは再び研究室に戻ろうとする。しかし、そこはもう既に火の海で戻ることは不可能だった。 「くそ.....初へのプレゼントが.......!」 「此奴のことか?」 「!!」 炎の中から、カレンを背負ったアトラが現れる。その周りには、黒服を着た『PleiaDeath』の職員達も居た。 「返せ!!それは.....!」 「ならば、今一度問おう。ワシと共に来る気はないか?」 「......断ると言っているだろう........!私は、人を笑顔にする研究がしたいんだ!!」 「...........お父さん.......っ......」 私はグッと唇を噛み、必死に涙を堪える。命の危機に晒されても、お父さんは決して自分の夢を捨てなかったんだ。 「........残念だ。」 アトラは小さく溜め息を吐き、再び手を翳す。すると、お父さんの足元が突然爆発した。 「ぐわぁああああああああ!!!!」 「お父さん!!!!!」 お父さんの身体は、あっという間に爆発の炎に包まれた。やがて爆発がおさまった時、お父さんの姿は何処にもなかった。ただ一つ、炎の中で何かが蠢いている。 「.........これさえあれば十分だ。」 アトラはその蠢く何かを拾い上げる。それは、人間の脳だった。 「..............お父.....さん...........?」 「撤収しろ。」 お父さんの脳とカレンを持ち去り、アトラ達は炎の中に消えていった。 「...........................」 私はもう何も言えなかった。三年前のお父さんの事故死.....その真実を目の当たりにし、色んな感情がぐちゃぐちゃになった。 「...............ラ」 ただ一つ、言えることがあるとすれば。 「..........絶対に許さない...............」 「ドクターアトラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!」 ....................................... .................... 「......ん.........初ちゃん!」 「!」 誰かに身体を揺さぶられ、ハッと我に返るとユーマが心配そうに此方を見つめていた。 「ユーマ.....」 「良かった、急に何も言わなくなっちゃったから.......」 「..............」 私は立ち上がり、辺りを見回す。すると、目を開いたまま気を失っているお父さんが目に入った。 「お父さん.........」 アトラの手で再び生を受けた......お父さんがいっていた言葉の意味がようやく分かった。今居るお父さんは、脳以外の全てが機械となったサイボーグなんだ。ゆっくりと近づき、その顔を覗き込むとたちまち目頭が熱くなってきた。 「......ごめん.......私、お父さんのこと......」 冷たくなったお父さんの頬に、私の涙が落ちていく。私は何も知らなかった.....自分の意思で『PleiaDeath』に協力していると思っていたお父さんが、本当は最後までアトラに抵抗し続けていたなんて。 「初ちゃん...........」 「.........ごめんね、ユーマ.......大丈夫だから..........」 涙を拭って立ち上がり、ユーマの手を取って歩き出そうとした........その時。 「.....................主様?」 背後から声がして、振り向くと両腕を失ったカレンが立っていた。断面からはナットやボルトがポロポロと零れ落ち、配線も露出してバチバチと火花をあげている。 「カレン...............」 「.......どういう.......ことっスか..........?まさか.........アナタが主様を..............」 「っ、それは......」 「..........................................」 カレンは俯き、黙ってしまう。しかし、すぐに顔を上げ、鬼のような形相で吼えた。 「..............アナタが.............キサマがあああああァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!!」 次の瞬間、カレンは地面を蹴ってまるでミサイルの如く私に突進した。 「ぐぁ........ッ!?」 私の身体は大きく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。ユラリと体勢を立て直しながら、カレンはギリギリと歯を軋ませて私を睨みつけた。 「よくも.......よくもよくもよくも!!!!敬愛なる我が主様を!!!!!!!」 「く.....カレン、君は.........!」 「喋るなァアアアアアア!!!!!!!」 今度は足をグルグルと高速回転させ、連続蹴りを喰らわせてくる。咄嗟に《言羽》でシールドを生み出すも、簡単に破られてしまった。 「カレン.....っ!やめて!君とは.....もう戦いたくない......!!」 「うるさい黙れ!!!!!!殺してやる!!!!!!!!」 私を蹴り飛ばし、カレンは自分の足を槍のように尖った形状に変形させた。 「死ね.......音羽 初.............!!!!!!」 その尖った足の尖端を、倒れた私目掛けて振り下ろすカレン。私にはもう、避ける程の体力も残されていない。 「........................ッ!!」 ぎゅっと目を瞑り、私は覚悟を決めた。 ..................................... ....................... .............. 何も起きない。 「.............?」 「.....グ....グ...........ッ」 うっすら目を開くと、ユーマが口を使ってその足を止めていた。 「ユーマ!!」 「.....にげ.......へ..........!!」 ユーマは足をガッシリと歯で咥えたまま私にそう言った。 「こいつ......ッ!!離せ!!」 「グゥ....ウウウウッ.................!!」 一気に力を込めるユーマ。すると、尖端からヒビが入り始め、カレンの右足が粉々に砕け散った。 「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」 バランスを崩し、その場に倒れるカレン。無残にも噛み砕かれた足の断面が火花をあげ、細かい部品やオイルが流れ出してくる。 「はぁっ、はぁっ......ごめん、キミに恨みはないけど......今はこうするしかないから。」 ユーマは口に入った鉄の残骸を噛み砕き、私の手を取って走り出した。 「ユーマ......!」 「ボクも、守られてばかりは嫌なんだ!キミを見ていたら生きる希望が湧いてきた......今度はボクが君を助ける!」 その言葉に、私は思わず頬を熱くする。誰かに守って貰うなんて、考えたこともなかったから。 「ま......てぇええッ..........!!!」 両腕と右足を失いとうとう片足だけになったカレンが、這うようにして追いかけてくる。しかし、圧倒的に此方の方が有利だった。 「こっちが出口だよ!急いで!」 「う、うん.........!」 ユーマとしっかり手を握り合いながら、必死に走り続け.......私達は遂に、研究所を抜け出した。 続く
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あなたの年齢は? 選択肢 投票 10代 (3) 20代前半 (6) 20代後半 (29) 30代前半 (22) 30代後半 (13) 40代以上 (3) アンケートへ戻る
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問題に出会った時、 人生の難関に出会った時、 いつの時も、私を支えてくれる あたたかい愛の真理があります。 それは、私達の魂の中を流れる 優しいいのちの世界のぬくもり。 人は皆、生まれる前に、その人生に必要なすべての力を 最初から 大宇宙からいただいて、生まれてきているといいます。 今、強さが必要なら、その芯の強さを、 耐える力が必要なら、その力を 優しさが必要なら、その優しさを 出会うすべての問題を 優しく越えてゆく力が、 又、自分に与えられた役割があるなら、 その役割に必要な 導きやリーダーシップや判断力のすべてを 私達はすでに 生まれる前に、いのちの中に宿されているのです。 それはいつも、私のいのちの中に あたたかい希望を湧かせてくれました。 「 すべて 越えられるようになっている…。 すべてできるようになっているんですね 」 と。 だから、 「あぁ、これはムリだ」 「私には できない」 「とても越えられない」 というように、 私のエゴがおびえて叫ぶ時、 私はいつも 自分のエゴのお母さんになって、 胸を優しく とんとんとたたいて よりそってゆくのです。 自分のエゴを責めたり嫌ったりしないで いのちの世界の希望で、エゴの中心から あたたかく照らしてあげるのです。 「大丈夫。 何も心配しなくていいですよ。 あなたは 必ず越えられる。 何故なら、越える力は 生まれる前から すでに神さまが あなたの中に 持たせてくれているからね。 その力に あたたかく 心を開こうね。 そう、自分の中に越える力があるから この問題に出会ったのです。 すでに 力は与えられています。 必ず、ほどけるようにできている ~できるようになっている~ 不思議なもので、その事を思うと ぐんぐんとあたたかい力が漲(みなぎ)ってくる気がします。 エネルギーが溢れでて、波動があがって 問題よりも 自分のエネルギーの方が大きくなってしまいます。 だから、問題を優しくつつみこむ事ができるのです。 ついさっきまでは、問題の方が私より大きく見えて、 萎縮して、できない できないと思っていたのに、 越える力は実はちゃんと自分の中にあると知った時から、 問題が自分より小さくなるのですね。 私達の中には皆、美しい神の光が灯されています。 私達の中に、あたたかい宇宙が広がっている。 私達は 天の愛そのもの…。 だから 私達は問題をも優しくつつみこめる程、 大きな愛の力をもっているのです。 もしも、あなたが 不安に立ちすくんでいるなら~ 大きな苦難の前でしゃがみこんでいるなら~ どうかこの言葉の御明かりを 心にそっと灯して下さい。 「 あなたには、それを越える力がある。 越えられるようになっていますよ 」 と。 これらの言葉の意味を感じながら 「大丈夫、生まれる前に決めてきたから、必ず越えられるようにできている」 そのことを、想ってみて下さい。 頭ではわからなくても、感じられなくても、 その優しい真理を想ってみましょう。 想う事は力ですから、 必ず、不思議な力があなたのいのちの中心から 目を覚ましてくれるでしょう。 あなたの中心から、人生に向けて 優しい力が噴水のように すべてを良くしてゆくでしょう。 自分を応援して 自分を信じましょう それは宇宙を、天の力を、信じることなのです。 文:姫乃宮亜美
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「法の支配」が「立法者の支配」と化するとき、少なくとも原則として、人類史上先例のない「法の名において」の圧制への道が開かれる。 ~ G.サルトーリ(アメリカの政治学者) 『デモクラシーの理論』(1965年) 通常は「民主主義」と翻訳されるデモクラシー(democracy)について、考えていくページ <目次> ■1.デモクラシーとは何か◆藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 ◆辞書による説明 ◆自由主義思想家による説明 ■2.政体分類と政体変遷論◆古代ギリシャ・ローマの政体論 ◆政体変遷の実例 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立◆混合政体の実例 ◆古代ローマの混合政体 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) ◆なぜ混合政体が安定するのか? ■4.立憲政体の普及◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る ◆なぜ我々は騙されるのか? ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある◆真の憲法(国憲、国体)とは何か ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 ■7.参考図書 ■8.ご意見、情報提供 ■1.デモクラシーとは何か ◆ 藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721169 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」(平成22年2月12日) (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721520 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」特別補足篇 (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) ◆辞書による説明 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(democracyの項)より全文翻訳 最高権力が一般民衆(the people)に帰属しており、彼らが、 1 直接的に、または、 2 通常は定期的な自由選挙に係る代議制度を通して間接的に、最高権力を行使する政治形態(form of government)。 直接民主政体(direct democracy)においては、公衆(the public)は政治に直接参加する(例として、①古代ギリシャの幾つかの都市国家、②ニュー・イングランドの幾つかのタウン・ミーティング、③近代スイスのカントン)。 今日の殆どのデモクラシーは代議制である。代議制民主政体(representative democrasy)は、欧州中世期から啓蒙期を通して発展した理念と制度によって、そしてアメリカとフランスの革命において大きく興起した。 デモクラシーは今日では、①普通選挙、②公職を巡る競争、③言論と出版の自由、④法の支配、を当然に含意するものとなっている。 デモクラシー(民主政体) 1 直接デモクラシー 古代ギリシャの幾つかの都市国家(アテネなど)、スイスのカントン(小郡) の2つの形態 2 間接デモクラシー(代議制デモクラシー) 近代以降の殆どの国民国家(nation state)で採用されているデモクラシー (2) オックスフォード英語事典(democracyの項)より抜粋翻訳 ・全人口集団または一国家の全有資格者による政体(a system of government:政治形態)であって、典型的には選出された代議員を通して行われる。 語源(ギリシャ語) democratia ← demos(=the people:一般民衆) + -cratia(=power, rule 権力、支配)⇒「一般民衆による権力、支配」 (3) コウビルド英語事典(democracyの項)より全文翻訳 1 ・デモクラシー(democracy)とは、人々(people)が投票によって自身の支配者を選出する政体(a system of government)である。 2 ・デモクラシー(a democracy)とは、一般民衆(the people)が投票によって自身の政府を選出する国家(a country)である。 3 ・デモクラシー(democracy)とは、組織や企業やグループを運営する制度(a system)であって、各々のメンバーは投票と諸決定への参加の資格が付与されている。 ◆自由主義思想家による説明 (1) J.F.スティーブン(英国コモン・ロー学者、王座裁判所判事)『自由、平等、友愛』(1873) 「我々は、支配者を打倒する代わりに、頭数を数えることで力を試すことに同意している。…勝利を得るのは、最も賢明な人々の側ではなく、当分の間、優越的な力(疑いもなく、叡智がその中の一要素である)を、最大多数の積極的共感を支持に取り付ける事によって示す側にある。少数派は譲歩するが、それは、間違っていると確信するからではなく、少数派だと確信するからである。」 (2) K.R.ポパー(オーストリア出身でナチス支配期に英国に帰化した科学哲学者)『開かれた社会とその敵』(1945) 「・・・というのは二つの主要なタイプの政府が区別されるかも知れないからである 1 第一のタイプは、血を流すことなく-例えば総選挙によって-排除することの出来る政府から成る。即ち①社会制度は統治者が被統治者によって追い払われる手段を提供し、②社会的伝統はこれらの制度が権力を握っている人々によって容易に破棄されないことを保証する。 2 第二のタイプは、被統治者が革命の成功による以外-即ち大抵の場合、全く-排除することの出来ない政府から成る。 私は「民主政体(democracy)」という用語を第一のタイプの政府、また「専制政体(autocracy)」や「独裁政体(tyranny)」という用語を第二のタイプに対する速記表現として提案する。これは伝統的な語法に一致すると思われる。」 (3) L.ミーゼス(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者)『人間行為論』(1949) 「国内の平和のために、自由主義は民主政体的政府(democratic government)を目指す。それゆえ、民主政体(democracy)は革命的制度ではない。それどころか、それは革命や内乱を防ぐまさしく手段なのである。民主政体(democracy)は、政治を多数者の意思に平和的に適合させるための手段を提供する。」 (4) F.A.ハイエク(オーストリア出身でナチス支配期にイギリスに帰化した経済学者・法哲学者・政治思想家)『法と立法と自由(第3巻):自由人の政治的秩序』(1979) 「政治的理想を表現する大部分の用語の宿命であると思われるが、「デモクラシー」はその用語の本来の意味とはほとんど関係のない様々な事柄を記述するために使われてきたし、今でも、実際に意味されるものが「平等(equality)」であるところで、しばしば使われている。 1 厳密に言えば、それは、政府の裁決を決定するための方法、ないしは手続きに関係するのであって 2 政府の何らかの実質的な善、あるいは狙い(例えば一種の物質的平等)に関係するものでも、非政府組織(例えば教育・医療・軍事あるいは商業に関する組織)に合理的に適用できる方法でもない。これらの誤用はいずれも「デモクラシー」という言葉からあらゆる明確な意味を奪っている。」 「デモクラシーは、専制支配(autocracy)から我々を保護する唯一のもの(例え、その現行形態においては確かなものでないにしても)であるために、固守するに値する理想である、ということである。」「今までに発見された平和的な政権交代の唯一の方法として、それは消極的な価値ではあるが、最高の価値の一つである。それは疫病に対する予防策に匹敵する。」 (5) J.A.シュンペーター(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者、但し自由主義より社会主義的傾向が強い)『資本主義、社会主義、デモクラシー』(1942) 「デモクラシーは一つの政治的な方法である。即ちデモクラシーは、政治的-立法的・行政的な-決定に到達するためのある型の制度的装置であって、従って、一定の歴史的条件下で、それが生み出すどんな結果にも関係なく、それ自体では目的となり得ないものである。」 ■2.政体分類と政体変遷論 ◆古代ギリシャ・ローマの政体論 古代ギリシャ/ローマ世界において、プラトン/アリストテレス/ポリュビオスといった哲人・歴史家が様々な政体の分類と変転原因を研究しています。 (1)支配者の数、と、(2)統治の状態(良好か堕落しているか)の2つの基準に着目した彼らの分類は、近代以降の各国の政体変動の分析にも大いに参考になります。 ただし後述のように、これらの分類には、近代の国民国家が革命・内乱・戦争の末にようやく確立した(3)「権威と権力の分離」や「権力分立」という政体安定化のための重要要素の観点が欠落していることに留意して下さい。 支配者の数 一人 少数 構成員全員 良好な形態 ①君主政体(monarchy) ②貴族政体(aristocracy) ③民主政体(democracy) 堕落した形態 ⑥僭主政体(tyranny) ⑤寡頭政体(oligarchy) ④衆愚政体(mobocracy) ※僭主(せんしゅ)とは、武力や大衆扇動などの非合法的な手段で支配者に成り上がった者をいい、統治の正統性を持つ君主と区別されます。 これらの政体間の変遷について様々な順序が考えられました。 例えば、プラトンは『国家』において、①完全国家(君主政体)⇒②名誉政体(貴族政体)⇒⑤寡頭政体(富裕層の支配)⇒③民主政体(自由すなわち無法の支配)⇒⑥僭主政体 …という順序で国家は一直線に堕落していくと考えました。 また、ポリュビオスは『歴史』において、①君主政体⇒⑥世襲により僭主政体に堕落⇒②貴族政体⇒⑤寡頭政体に堕落⇒③民主政体⇒④衆愚政体に堕落⇒再度①君主政体に戻る ・・・という順序で政体が循環すると考えました(政体循環論)。 こうした古代ギリシャ及びローマ世界の実経験に学んだ哲人・歴史家たちの研究は、以下のようにまとめられ、この認識が近代に至るまで長く統治者や知識人にとって政治に関する常識とされました。 (1) 良臣や賢者に支えられて理想の名君が統治する①君主政体が最良の政体(政治形態)である。 (2) 無知・無責任・強欲な貧民が大勢を占める一般民衆が政治を取り仕切る③民主政体は早晩、④衆愚政治に堕落する。 (3) ④衆愚政治の混乱の中から、大衆扇動に長けた人物が出て権力を奪取し、最悪の⑥僭主政体が出現する。 ◆政体変遷の実例 上記の古代ギリシャ・ローマの政体分類と政体変遷論を実例に当て嵌めて考察します。 国家 ①君主政体(monarchy) ③民主政体(democracy) ④衆愚政体(mobocracy) ⑥僭主政体(tyranny) その後 (1) 古代アテネ 王国 共和国 ペロポネソス戦争敗戦後三十僭主制 民主政体回復するも弱体化→マケドニア王国に服属 (2) 古代ローマ 王国 共和国 第一回三頭政治→カエサル(シーザー)独裁→第二回三頭政治 オクタヴィアヌスの統一→元首制を採用した安定的な帝政へ (3) 17世紀イギリス 王国(前期スチュワート朝) 長期議会の支配(名目上は王国) 共和国(残部議会) 共和国(護国卿O.クロムウェル独裁) クロムウェル死後息子R.クロムウェルが後継するも無能のため無政府状態に陥る→王政復古(後期スチュワート朝)→名誉革命(立憲君主政体確立) (4) 18世紀フランス 王国(前期ブルボン朝) 国民議会の支配(名目上は王国) 第一共和政(国民公会の支配→ジャコバン独裁→総裁政府) ナポレオン独裁(統領政府→第一帝政へ) ナポレオン戦争で敗北→王政復古(後期ブルボン朝)→七月王政(オルレアン朝) (5) 19世紀フランス 王国(オルレアン朝) 第二共和政 ルイ・ナポレオン独裁(共和国大統領→第二帝政へ) 普仏戦争で敗北→第三共和政でようやく安定 (6) 20世紀ドイツ 第二帝国 ワイマール共和国 ナチス独裁(第三帝国) 第二次大戦で敗北→西側のみ連邦共和国となり安定 (7) 20世紀ロシア 帝国(ロマノフ朝) 臨時政府(ケレンスキー首班) ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)…共産党一党独裁(レーニン→スターリン) 第二次大戦で勢力拡大→国内の圧政と長期の米ソ冷戦で疲弊→解体 (8) 20世紀中国 帝国(清朝) 中華民国…袁世凱独裁→軍閥割拠→蒋介石(国民党政府)独裁→国共内戦 中華人民共和国…共産党一党独裁(毛沢東→鄧小平) 共産党独裁は現在も継続 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立 上記の政体分類のうち良好な形態である、①君主政体、②貴族政体、③民主政体、の3つの各々の長所を組み合わせることにより、安定的で有能な政体が生まれることが、次第に経験的に認識されるようになりました。(混合政体mixed government) こうした混合政体では、各機関の権力の妥当する範囲や相互関係を調整するための合意が、慣習あるいは成文として明示され、各機関がそれを遵守することによって政体の安定性が担保されます。 分立された各機関の権力が、不文あるいは成文の国憲に拘束され、相互に抑制することにより権力の独占や濫用が防止される政体を立憲政体(constitutional government)といいます。 ◆混合政体の実例 国家 ①君主政体の要素 ②貴族政体の要素 ③民主政体の要素 (1) 古代ローマ(共和政) ①´コンスル(執政官) ②´元老院 ③´平民会・・・護民官を選任 (2) 古代ローマ(帝政) ①皇帝 ②´元老院(名目的) ③´平民会(名目的)・・・護民官(名目的)を選任 (3) イギリス ①国王 ②貴族院(上院) ③庶民院(下院)・・・首相を事実上選任 (4) アメリカ ①´大統領 ②´元老院(上院) ③代議院(下院) (5) フランス ①´大統領 ②´元老院(上院) ③国民議会(下院)・・・首相を選任 (6) ドイツ ①´大統領(名目的) ②´連邦参議院 ③連邦議会(下院)・・・首相を選任 (7) 日本(明治憲法下) ①天皇 ②貴族院 ③衆議院…首相を選任(1924-32) (8) 日本(現憲法下) ①天皇 ②´参議院 ③衆議院・・・首相を選任 ※①´は擬似君主的な要素、②´は擬似貴族的な要素 説明 権威と権力を保持 権威のみ保持 権力のみ保持 ◆古代ローマの混合政体 ギリシャ出身で共和制ローマの将軍小スキピオの家庭教師を務めた歴史家ポリュビオスは、ローマの共和政体が、①2名のコンスル(執政官)+②貴族階級の元老院+③平民階級の平民会および彼らの代表である2名の護民官、という君主政体・貴族政体・民主政体の3要素を複合しており、カルタゴやマケドニアなどのライバル国に比較して、はるかに安定的かつ有効に機能していることを指摘しました。 共和制ローマは、その後の領域拡大と経済発展による社会の複雑化に対して、従来の任期1年・2名という弱体なコンスル制では対処できなくなり、元老院を中心とする閥族派(スゥラ)と平民派(マリウス)の抗争(衆愚制)、軍事力や財力を背景にした有力政治家による三頭政治(寡頭制)やカエサル独裁(僭主制)の時期を経て、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスによる武力統一に至ります。 オクタヴィアヌスはローマ市民の感情に配慮して元老院の権威を尊重し、元老院から「第一の市民」(プリンケプス=元首)という称号を授けられて実質的にローマに帝政を敷くことになります。この元老院に代表される共和制の精神を加味した専制的ではない帝政を元首制(プリンキパトス)といい、アメリカ合衆国の政体(大統領+元老院+代議院)はこれを模して設計されるなど近代の政治制度にも大きな影響を及ぼしています。 その後ローマでは、ネロ・カリギュラなどの暴君も一時出ましたが、元老院の権威を受けて帝国を統治する五賢帝と呼ばれる名君が輩出して帝国は大いに繁栄しました。 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) 16世紀後半のエリザベス女王の統治下で大いに国力の伸張したイングランドは、女王に後継者がいなかったため縁戚のスコットランド国王を新国王に迎え入れました。 ところがカトリック教徒(スコットランドはカトリック国)であった新国王側は、新教徒(イングランド国教会や清教徒)に宗教的圧迫を加えたので、国王と議会が衝突し、清教徒であるO.クロムウェル率いる鉄騎兵が勇戦した議会側が勝利を収めました(清教徒革命)。 O.クロムウェルは国内の混乱を武力収拾すると、国王を処刑し、共和政(コモンウェルス)を樹立しました(護国卿政権)。 彼の死後、後を継いだR.クロムウェルは政治的に無能で、一時的に無政府状態に陥ったために、貴族など有力者は、大陸に亡命政権を立てていた王室に帰還を求めました(王政復古(1660))。 しかしカトリック教徒の国王側が、宗教政策で再度国民を圧迫したため、議会のトーリー・ホイッグ両党が連名でオランダに嫁いでいた新教徒のメアリー王女と夫のオレンジ公オランダ総督ウィリアムに『権利章典』の承認と引き換えに王位を差し出して、旧教徒の国王一家を追放しました(名誉革命)。 その後、メアリー女王の妹であるアン女王が即位した時期に、フランスに亡命していたカトリックの旧王一族の復位を避けるため、王位継承者を新教徒に限定する『王位継承法』が定められ、その規定に従って、アン女王没後に、ドイツから新教徒のハノーバー公が王位に迎え入れられました。(なおアン女王の時代に、イングランドとスコットランドが統一して連合王国(U.K.=イギリス)が誕生しています。) ドイツ生まれの新国王ジョージ1世は、英語が話せず閣議を主催できなかったために、ホイッグ党の指導者であったウォルポールがこれを代行し、議会の有力党の党首が国政を執る責任内閣制が生まれました。 こうして、イギリスにおいて「国王は君臨すれども統治せず」という政治原則、つまり、①権威(Authority)を体現する国王と、②権力(Power)を保持する議会という「権威と権力の分離」が確立されました。 国王と議会は、ともに『マグナ・カルタ』『権利請願』『権利章典』『王位継承法』などの成文法典や慣習化された不文律を含む国憲(constitution)を遵守し、国王のみならず、議会もまた「絶対無制限の権力」を行使することは許されません。 国王・議会・司法官が共に“法”(制定法ではなくコモン・ロー(慣習法たる祖法))に拘束され、 議会といえども無制限の権力を行使しえない原則を『法の支配』(rule of law)といい、 このように『法の支配』の下にある制限された君主政体を『立憲君主政体』といいます。 18世紀のイギリス法学者ブラックストーンは大著『イギリス法釈義』を著わして、「法の支配」の原則を定式化しました。 また19世紀後半に活躍したジャーナリストのウォルター・バジョットは『イギリス憲政論』を著わして、「権威(政府の尊厳的部分)と権力(政府の実用的部分)」が分離され安定的に運用されているイギリス政体を明瞭な筆致で分析・描写しました。 ブラックストーンの著作は、アメリカ合衆国の建設者たちに大いに参考にされ、バジョットの著作は明治憲法の制定に関わる論議に参考にされました。 ところが、バジョットの後に出た憲法学者のA.V.ダイシーは、主著『憲法序説』で、イギリス憲法の特徴を、①法の支配、②議会主権、③憲法慣習律、の3つであると定式化し、本来は、①法の支配と両立しないはずの、②議会主権(議会が最高権力を持つ)という説が流布したまま現在に至っています。 ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) 1783年にイギリスから正式に独立を承認されたアメリカ東部13邦では、法制度の整備・運用に当たって、前述したブラックストーンの『イギリス法釈義』が大いに参考にされましたが、実体が曖昧な不文憲法ではなく、明文憲法を採択して政府の権限を明確化することが、分立した各邦との権限の境界を明確にする必要から強く求められ、世界最初の近代的成文憲法である「アメリカ合衆国憲法」が起草されて、各邦が激論の末に順次これを批准して、1788年にアメリカ合衆国が建国されました。 イギリス国王の権威から離れたアメリカでは、イギリス式の厳格な「権威と権力の分離」方式は困難でしたが、ローマ帝国の元首制や、ルネサンス期イタリアの共和国の国政を参考に、①国家元首たる大統領(擬似国王的な存在)、②元老院(Senate:上院、各州等分の議席配分で擬似貴族院的な存在)、③代議院(House of Representatives:下院、人口に比例して各州に議席を割り当てる平民院的な存在)の3機関を分立させ、①大統領、②元老院に権力と共に一定の権威を付与する方式を採用しました。 それと共に、違憲立法審査権を持つ強力な、④司法裁判所を設置して、特に議会の立法権を制約する仕組みを設け、行政(大統領府)・立法(議会)・司法(裁判所)、の三権が互にチェック バランスを行う厳格な三権分立方式を採用しました。 アメリカ式の成文憲法によって国政を規律する方式を『立憲主義』(constitutionalism)といい、 立憲主義に基づく民主政体を『立憲民主政体』といいます。 このように厳密には、イギリスは立憲君主政体(constitutional monarchy)であり、アメリカ合衆国は立憲民主政体(constitutional democracy)なのですが、イギリスにおいても、政府(立法および行政)の実権は選挙を通して一般民衆に保持されていると見なしうるので、これを民主的政府あるいは民主的政治(democratic government)と呼ぶ今日の用例が発生しました。 ◆なぜ混合政体が安定するのか? アメリカ型の厳格な権力分立が機能している場合を除いて、一般に権威と権力が未分離な前近代的政体においては、権力者による専制支配に陥りやすく、これを取り除くには、革命やクーデターによるしか方法がない。これに対して、 権威と権力が分離されている政体では、権力の所在が移動しても、 権威が不動であるために、政治的混乱に陥る危険が回避される。 つまり不動の権威の存在が、伝統と相まって、暴力によらない民主的な(=頭数を数えて行う)権力の交代を保障する。 現代においても多くのアジア・アフリカの新興諸国、最近までのラテン-アメリカ諸国が政治的に不安定なのは、①国内に伝統的な政治的権威の担い手が存在せず、②権力者の専制支配に陥りがちで、③それゆえに、アメリカ型の厳格な権力分立制度の確立も不可能だからである。 ■4.立憲政体の普及 欧州諸国は、安定的で有能な立憲政体を確立するまでに、各々数十年単位の混乱を経験することになりました。 こうした混乱のあとで出現した立憲政体は、次の3パターンに分類できます。 (1)権威と権力が明確に分離されたイギリス型の立憲君主政体(権力分立は不徹底) (2)厳格な権力分立によりCHECK BALANCEを機能させるアメリカ型の立憲民主政体 (3)上記の折衷型で、名目的な大統領と責任内閣制を採用した立憲民主政体 ◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 国家 混乱の開始 混乱のピーク 混乱の収束 混乱期間 混乱後に採用された政体 イギリス 清教徒革命(1640-49) クロムウェル独裁(1653-59) 名誉革命(1688) 49年間 イギリス型 フランス フランス大革命(1789-99) ジャコバン独裁(1793-94) 第三共和制発足(1871) 82年間 折衷型 ドイツ ドイツ革命・敗戦(1918) ナチス独裁(1933-45) ドイツ連邦共和国発足(1949) 32年間 折衷型 ロシア ロシア革命(1917) スターリン個人独裁(1924-53) ソ連邦崩壊・ロシア独立(1991) 74年間 アメリカ型 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 欧州諸国は、近代において各々、数十年規模の国内の混乱や戦争の経験を通じて、ようやくイギリス型の「権威と権力の分離」やアメリカ型の「厳格な三権分立」に保障された安定した立憲政体にたどり着いたのであるが、日本においては既に古代から、権威(天皇)と権力(蘇我氏・藤原氏など)の分離の伝統が自生しており、ことに中世期以降は、天皇(および公家)は専ら権威のみを保持し、権力は武士階級が保有するという二重構造が定着した。 幕末に欧米列強の脅威が高まると、従来の幕藩体制では有効な対処が出来ず、折から高まっていた尊皇攘夷の思想潮流に押し流される形で、徳川政権は、専ら権威のみを保持していた朝廷に対して、政治権力の返還を願い出るに至った(大政奉還)。 朝廷は、これを受け入れて王政復古の大号令を発したが、その直後に朝廷の実権を握る倒幕派公家が長州・薩摩など西国雄藩と図って、徳川家に将軍職のみならずその広大な領地の返還と内大臣職の辞官をも要求する挙に出たため、倒幕派と佐幕派の武力抗争が勃発した(戊辰戦争)。 しかしながら、緒戦の鳥羽伏見の戦で敗北した徳川家は朝廷の権威に対して恭順の態度に出たために、戊辰戦争は幕府と朝廷および薩長など西国雄藩の全面戦争とはならず、なお薩長の政権奪取の方式に不満を覚える佐幕派と討伐軍との局所的な武力抗争に留まり、まもなく薩長と公家が中核を占める維新政権が確立された。 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) 戊辰戦争で、江戸城開城の行われる1ヶ月前の1867年3月、京都において明治天皇が皇祖皇宗の神霊に誓う形式で、維新政権の基本方針を示した「 五箇条のご誓文 」が宣布された。 そのご誓文は第一条に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と明記されており、維新政権においては、従来の武士階級による権力の独占ではなく、広く国民から意見を集めて国家の方針を決定することが示された。 五箇条御誓文(慶応4年(明治元年)3月14日) 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 以降、この第一条を根拠に、国民各層の意見を求める具体的な制度の導入が官民双方から熱心に検討されるようになり、板垣退助らの自由民権運動(1874年以降)、国会開設の詔勅(1881)を経て、大日本帝国憲法発布(1889)、大日本帝国憲法施行・第一回衆議院選挙(1890)に至って、日本にも混合政体と代議制デモクラシーを備えた立憲政体が確立された。 薩長藩閥は、憲法制定当初はなお超然内閣(議会の動向とは独立した内閣)を主張する者が多かったが、まもなく円滑な政治運営のために議会と協調し多数派を獲得する方針に転換し、のちには議会で多数を占める党派から首相を選出する英国型の政治運営方式(「憲政の常道」と呼ばれる)が導入されるに至った(1924-32まで)。 代議制に関しては、なお当初は財産による制限により国民の中に占める有権者の割合が低かったが、国力の上昇とともに有権者の範囲は徐々に拡大されていき、大正期に入ると第二次護憲運動の成果によりついに男子普通選挙権が実現する運びとなった(1925年以降)。 このように戦前の日本には、当時の欧米諸国と全く遜色のない議会制デモクラシーが営まれていたのである。 ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威 上記のように欧米や日本では、近代の国民国家の政体は、①混合政体を、不文または成文憲法によって保障する立憲政体として徐々に確立されていった。 その中で、混合政体のうち特に権力を代表する部分である民主政体部分は、古代ギリシャにおけるような直接デモクラシーではなく、有資格者が投票により選任する代議制デモクラシー(間接デモクラシー)として発展してきた。 有権者の範囲は、当初はどの国家も一定の財産などを前提とした一般民衆の中の限られた部分に過ぎなかったが、近代化が進み一般国民の間に政治的権利を求める動きが高まるに従って、段階的に有権者の範囲が拡大され、やがて一定年齢以上の国民に一律に投票権を付与する制度(普通選挙制度)が普及していった。 こうして成立した民主政体部分が肥大化した政治体制を、俗に大衆デモクラシー(mass democracy)という。 大衆デモクラシーは、立憲政体を生み出した当初の思想家たちが危惧したように、デモクラシーのモボクラシー化(衆愚政体化)の危険をもたらした。 君主政体・貴族政体・民主政体の混合した安定した政体として確立された近代の立憲政体が、その民主政体部分の肥大化によって、古代ギリシャ・ローマ時代からのセオリー(理論)どおりに、衆愚政治に接近していってしまう事態に至ったのである。 ◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 真正デモクラシー 衆愚政治(モボクラシー) 権力の制限 多数者の同意を得た権力であっても“法”(一般ルール)に従う必要がある。⇒制限された政府権力(自由と共存) 多数者の賛同を得た権力は無制限である⇒全能の政府権力(自由を圧殺=全体主義化) 憲法との関係 成文憲法は、憲法自体の規定により改訂できる。しかしその場合でも、真の憲法(constitution:国憲、国体)に違反する内容を定めることは出来ない 憲法(成文憲法)は、その時々の多数派の意向により自由に改訂できる。なお民衆の意思が全てに優先するので、成文憲法を超える真の憲法(国憲、国体)といったものは認められない(人定法主義) 立法権との関係 立法府が定めた法律であっても、司法府によって違憲(“法”(一般ルール)違反)とされる場合がある(司法府による違憲立法審査権の行使) 立法府が定めたものが法である。多数派の同意を得た立法府は無制限に法を定めうる。 思想的背景 英米法の伝統、イギリス経験論の伝統 大陸法の伝統、大陸合理論の伝統 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る 「政府が行うことは全て、多数者の同意を必要とする」というデモクラシーの原則は、「多数者の賛同があれば政府は無制限に権力を行使しうる」ということを決して意味しない。この両者は完全に別物である。 しかし、近代の歴史の教える所によれば、ことに20世紀の歴史では、有力な扇動者が「権力はもはや人民の手中にあるのだから、人民の権力を制限する必要はない」と訴えて、この主張が現実に実行に移された事例が幾つもある(人民主権論)。 こうして、デモクラシーはモボクラシー(衆愚政治)を経て、全体主義(totalitarianism)という新たな専制支配(autocracy)・独裁政治(tyranny)に変容する。 ◆なぜ我々は騙されるのか? 我々が、扇動者の悪魔の囁きにだまされてしまうのは、一つには「デモクラシーが(その来歴から見て)単なる手段(制度)であって目的ではない事」を理解し損ねるからである。 例えば日本語においては、「民主主義」という訳語自体が一つの誤解の元、あるいはトリックとなっている。 democracy は -ism(主義・思想)ではなく -cracy(制度)である。 このページの一番上に示した辞書による説明を見ても明らかなとおり、democracy は a system of government(政治あるいは政府の一制度)に過ぎず、日本語に訳す場合は「民主政体」「民主政治」が正しい。「民主主義」という言葉は日本語として既に定着はしているが、明らかな誤訳である。 ※もし「民主主義」(国家の主権が人民にあり、人民が主体となって全体の幸福・利益を図ることを目的とする主義・思想)という訳語を使うならば、それは democratism という余り使われない単語に対して使うのが正しい。 デモクラシーという制度は、それ自体が何か目的を持っているわけではないが、それが平和的な権力交代を可能にするほぼ唯一の政治的方法であり、その効用が高いために近代以降に世界の国々に順次普及していった制度である。 上に述べたような全体主義者によって詐称されたデモクラシー(人民民主主義)ではなく、真正のデモクラシーを採用する国々は、国民の大部分が①意見の形成と、②形成された意見の実現に向けて自発的に参加する事が期待できるので、短期はそうでなくとも、中長期的に見ると、小数のエリートが大多数の無力の人民の指導をする体制の国々に比較して、明らかに良好な政治的・経済的また文化的な成果を達成することが可能となるのである。 但し、歴史に明らかなとおり、デモクラシー(民主政体)は、扇動に弱いという弱点を抱えている。特に外部からの強い意図(イデオロギー)を持った誘導工作に弱いことが実証されている。 これを克服するためには、国民一人一人の情報識別能力の向上が必須であるが、一般に何時の時代・どのような地域をとっても、それは困難なことのようである。 ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 「誰が支配するか」という主権論は、ブルボン朝フランス王国のような「君主主権」を主張する者に対抗する上で一定の意味はあったであろうが、現代では「国民主権」(あるいは「人民主権」)つまり「国民全員(人民全員)が主権者である」と声高に唱えることに、果たしてどれだけ意味があるのだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉が、全体主義者によって「国民が同意したことは無制限に実行されてよい」という誘導に利用されていないだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉は、国民へのご機嫌取り的な含意を取り除けば、実質的には「何も言っていない」のと同じではないだろうか? 政治において、まず第一に考えるべきことは、「悪い政治」(専制支配)が出現する可能性を あらかじめ取り除く制度的な仕組みを整えておくことである。(制度的抑制) 「デモクラシー」が「民主主義」と誤訳され、それが一種のスローガン化(価値・目的化)している所では、この大事な視点が見失われがちである。 我々はむしろ「デモクラシー」を、それが平和的な権力移動を可能にするほぼ唯一の方法として基本的には評価しながらも、常に「衆愚政治(モボクラシー)」に堕落し易いものとして警戒し、それを防止する制度的仕組みを真剣に考案する必要がある。 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある ここで真正デモクラシーのあり方を再度確認しよう。 真正デモクラシーでは、権力は“法”(=一般ルール)によって制約される。 この原則を“法の支配”という。 なお、ここでいう“法”とは立法府の定める「法律」ではなくて、「真の憲法、国憲、国体」である。 ◆真の憲法(国憲、国体)とは何か 戦後教育を受けた我々にとって、憲法といえば成文憲法しか思い浮かばず、それが国家の唯一最高の法規だと多くの人が信じこんでいるが、戦前においては、そのようなことは決してなかったのである。 例えば、戦前において、「国体」という言葉の解釈を巡って激論が交わされたが、この「国体」という概念は、明治憲法の制定に先立って存在すると見なされ、明治憲法は国体を部分的に明文化したものである、という建前が取られていた。 戦後においても、例えば、日本国憲法第九条は、明確に軍隊の保有を禁止しているが、最高裁判所の憲法判断は「自衛隊は合憲」である。 最高裁判所の判決理由では、憲法の文言の一部を拡張解釈して「自衛隊は合憲」の結論を導出しているが、憲法がもし今ある成文憲法だけだとすれば、どう憲法を読んでも「自衛隊は明らかに武力を保有しているため違憲」という判断にしかならないはずである。 それでも自衛隊が合憲となるのは、成文憲法である日本国憲法より上位に“真の憲法=国憲・国体”が存在し、それが日本国民の当然の権利として、武力の保持を認めている(つまり現行憲法は、真の憲法=国憲・国体に違反している)と解釈するのが真っ当なあり方である。 こうした真の憲法=国憲・国体が、たとえ有権者の多数の賛同を得ても、立法府や行政府には、無制限の権力を行使して国民の自由を圧殺する権限は認められない、という一般ルールを定めている、と見なすのが、真正デモクラシーである。 真正デモクラシーは、“法”(一般ルール)に拘束され、無制限の権力を決して認めない。 この“法”を憲法(国憲・国体)という。この場合の憲法は成文憲法とは限らない。 ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 明治憲法は、五箇条のご誓文(1867)宣布より23年の歳月をかけて、最終的に伊藤博文・井上馨・金子堅太郎・伊東巳代治の四名により編纂され1889年に発布された。 この間、国民各層から多様な民間試案が発表され、喧々諤々の激論が交わされた。 今の教科書では、明治憲法はプロイセン憲法を真似ただけの外見的立憲主義の非民主的憲法などと教わるが、これは全くの歪曲である。 上記4名の中で、伊藤博文はアメリカ憲法の注釈書『ザ・フェデラリスト』を終始参考にして憲法注釈に取り組んだことが知られており、金子堅太郎はイギリス保守思想の代表者エドマンド・バークの著作を部分訳ながら本邦初訳したことで知られる親英米派である。 伊藤博文が統一間もないドイツおよびオーストリアに憲法取調べに出向いて学んだのは、憲法の条文ではなくて、憲法を編纂する上での心構えである。すなわち「憲法は自国の歴史・伝統が体現されたものでなくてはならぬ」という歴史法学の方法論である。 こうして熟慮の末に日本の歴史・伝統を踏まえて編纂されたのが明治憲法であり、当時の日本は堂々の自主憲法を制定したのである。 もちろん明治憲法が、日本的な立憲体制と真正デモクラシーを制度的に保障する仕組みに欠けていたのは事実である。だが、それは明治憲法の欠陥というよりは時代的な制約であろうし、昭和初期の世界的な激動の中で立憲政体が機能不全に陥ったのは何も日本だけではないのである。 戦後まもなくに、GHQ作成原文を翻訳して作った日本国憲法には、当然ながら日本の歴史・伝統への考慮はない。日本の真の憲法(国憲・国体)を汲んでいないのである。(加えて、日本の安全保障への考慮すらない亡国憲法である。) 明治の先達に倣って、①日本の歴史・伝統を踏まえ、②真正デモクラシーの制度的保障を備えた、自主憲法を制定するために国民各層が目覚めることが必要である。 ■7.参考図書 『法と立法と自由』(全3巻)F.A.ハイエク著(1971-79) 第一部:ルールと秩序第二部:社会正義の幻想第三部:自由人の政治的秩序 【関連】 リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 国家解体思想の正体 リベラリズムの真実 日本国憲法改正問題(上級編) 明治憲法の真実 ■8.ご意見、情報提供 今度の参院選は我が国の大衆デモクラシーの衆愚度合いが問われる選挙になるものと覚悟せざるを得ない。内容的にまだまだ粗いと思うが、そうした衆愚政治の問題を考えていくために当ページをとりあえず作成しました。 -- ページ作成者 (2010-06-14 21 54 07) 凄く良いページですね -- 名無しさん (2010-12-03 17 21 44) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/newsop/pages/199.html
平日版 1993年10月-1995年3月 カラーリング:あなたにオンタイム 第一部(5 45):草原を背景に四角形に入った「オ」が現れ、直後に「オ」「ン」「タ」「イ」「ム」に増えて回転する。 その後四角形が消滅し「オンタイム」が組み合わさると同時に画面手前から「あなたに」が出現しタイトルロゴが完成、ズームインするCG 第二部(6 30): 情報カメラを背景に右下に5 45と似たCGで「あなたにオンタイム」ロゴが表示される。 テーマ曲は小野ひとみの書き下ろしによるもの。エンディングテーマ曲は谷村有美「SOMEBODY LOVES YOU」、神子雅「プリズム・レイン」などが使用された。 なお、5時45分の任意ネット枠と6時30分の全国ネット枠では、曲の冒頭部分が異なっていた(全国ネット枠では冒頭の歌詞がインストゥルメンタル化され、小野の声で「JNN!」と叫ぶだけになっていた)。 週末版 1993年10月-1995年3月 カラーリング:JNNニュース あなたにオンタイム 情報カメラを背景に四角形に入った「オ」が現れ、直後に「オ」「ン」「タ」「イ」「ム」に増えて回転する。 その後四角形が消滅し「オンタイム」が組み合わさると同時に画面手前から「あなたに」、画面右から「JNNニュース」が出現しタイトルロゴが完成、ズームインするCG。 テーマ曲は平日版の6時30分の全国ネット枠の物を使用。